突然ですが、初めて補助輪なしで自転車に乗れた時のことを覚えているでしょうか。
(「初めて逆上がりができた時」でもかまいません)
あの何とも言えない感覚。後ろで誰かが支えてくれていた時の安定感はない。
だけども、それを上回る「自分ひとりで出来た」ことの喜び。
その日は疲れ果てて家に帰ったとしても、次の日にまた恐る恐る挑戦し、出来るようになった喜びを改めて噛みしめる。
何事も「できるようになる」には喜びがあり、その喜びが「できたことを何度も繰り返す」ことに繋がるものです。
ただ、子どものうちはそもそも出来ることが少ない分喜びも大きいですが、大人になるにつれ「できるようになった感動」も少しずつ薄れていってしまいますね。
(私は22歳で車の免許を取って運転が出来るようになりましたが、結局段々と乗らなくなり今では立派なペーパードライバーです。)
これはもちろん、同じことが勉強にも言えるわけです。
低学年(1~2年生)であれば、問題に答えられることや正解の花まるがもらえることが嬉しくて、単純な繰り返しを嫌がらず素直にやれる子が多い印象を受けます。
しかし3・4年あたりを境目に段々と繰り返しを「作業」と感じ始め、出来たことが出来た瞬間だけで終わってしまう子が増えてきます。この辺りの年代から時間感覚などがハッキリし始め、良くも悪くも見通しが立てられるようになっていくからですね。
ここで繰り返しを嫌わず地道にやれる子の成績はだいたい安定して伸びていくように感じています。
ただし、普通楽しくもない繰り返しの作業は苦痛でしかありません。
「九九の2の段が言えるようになった喜び」と「二次方程式の解が出せるようになった喜び」とは相当な差があるように思われます。これは先ほども書いたように、大きくなるほど出来ることが増え、感動が薄れるからだと考えています。
繰り返すことが大事なのは間違いないのですが、出来るようになったことを繰り返すためには一体どのような心持ちでいればいいのでしょう。
テストの5分前に焦って単語帳をパラパラめくっている子と、静かに構えていられる子の違いは何でしょうか。
単語帳をめくっている子は、テストを前にして不安に襲われています。
何か忘れていることがあるのでは。自分の覚えていないところが出たらどうしよう。
しかし、そういった不安がテスト直前に表れている時点で勉強状況は明らかです。
静かに構えている子は、「既に不安を解消した子」です。
テスト前の期間で何度も不安になり、覚えたところを繰り返し確認して問題を解き直し、
「できる」という自信が持てるまで練習しているからこそ、直前は落ち着いているのです。
結局どちらも不安な状態は訪れていますが、タイミングが違います。
どうも学習内容が定着している子は、「この前は出来たけど忘れているかもしれない」という不安から繰り返し学習に臨めている場合が多いように感じます。
不安だから復習し、出来るようになるまで繰り返す。
この不安を日々持ち続けていられるか、が成績向上の一つのカギです。
逆に言えば、繰り返しを嫌う子は自信がジャマをして不安を持てていない。
ずば抜けて成績の良い子はやはり、「勉強が楽しい」と思っている子が多いですね。
それは言わば、「自転車に初めて乗れた時の感動を勉強でも得られる子」です。
しかしそれはなかなか難しい。
そういう時は逆に、適度な不安を持つことを考えてみてもいいと思っています。
「本当に分かっているのか」「もしかしたら出来ないのでは」「何か忘れているかも」
こういうことを自分で問いかける、または適度に周囲の大人が声をかけてあげることが
繰り返し学習の引き金になるのではないでしょうか。